1.アイ〜、ホンド!
岩手県盛岡市は、例年1月から2月にかけて厳冬期である。今年は最高気温がマイナス4〜5度という日が続いている。
こんな盛岡にもフラメンコ教室が2つある。その両方の発表会を、2009年の12月から2月にかけて見ることができた。どちらがいいとか、技術的なこと、表現力、見せ方など、フラメンコに関する知識もろくにない私には批評めいたことを言うことはできない。しかし、パフォーマンスが充実していればいるほど、奇妙な感覚に陥る。
もし日本民謡を愛好する団体がスペインの地方都市にあり、そこではスペイン人だけで、日本民謡と手踊りの発表会をやっているとしたら。あるいは、そこに日本からの歌手か、演奏家(三味線か尺八?)が招かれて現地の人々と楽しく「日本民謡」を演じているとしたら……。その光景を想像できるだろうか。
どちらの教室の発表会も、同じホールで行われ、500ほどの座席は、ほぼ満席だった。この現象はいったい何を意味するのだろう。盛岡人はそんなにフラメンコが好きなのか?
教室に通う女性たち(ほとんど女性である)に「なぜフラメンコをやっているか」と聞いても、私を満足させる答は返ってこないような気がする。たぶん「好きだから」「スペインに憧れて」「体を動かすことが好き」「表現することの楽しさ」「別な自分を発見できた」などなど……もしかしてこれはフラメンコじゃなくても同じことか。自分さがし? 自己発見?
異文化発祥の事物に憧れる状況──これは音楽や芸能だけでなく、スポーツでも、料理、酒でも同様の事情があるのではないか。「日本には世界中の“文化事象”(の模倣)がある」とさえいえないか。
仮に、音楽だけとりあげても、そう思われないだろうか。
クラシックやジャズは、もはや異文化ということがかえって違和感を感じさせるほどだ。盛岡には全国大会で優勝したジャズ・コンボもある。盛岡のライヴ・バー「クロスロード」に出演しているジプシー・スウィングのカルテットはなかなかのものだ。隣の秋田県にはシタールの専門家もいる。
中国地方のどこかの町にも、スティール・ドラム・アンサンブルをやっている人たちがいて、本場トリニダード・トバゴまで行って演奏している。中南米音楽をやる人たちなどは枚挙に暇がない。たぶんガムランもあるだろう。以前、芸能山城組はケチャもやっていたし、ブルガリアン・ヴォイスもやった。ホーミーをやる人たちも、巻上公一以外にもたくさんいる。馬頭琴もウードも、初めて生で聴いたのは日本人の演奏だった。私の友人は韓国のチャンゴ(杖鼓)を集団でやっている。クラブ系の若者たちは、ジャンベ(ジェンベなのかな)やディジュリドゥが好きだ。知人にはすごいカリンバ奏者がいるし、ツィンバロンのプロもいる。歴史を遡ればきりはないが、ひとつだけ書いておけば、雅楽だって輸入音楽だ。
ほんとに日本人の好奇心は旺盛だ。日本全国どこでもちょっとした規模の町なら、各国料理の店、多国籍料理の店がある。世界各地の料理も酒もすべて消化してしまう我々。
盛岡には、日本全国のスコッチ・マニアが巡礼に来るほどのコレクションを持つ「スコッチ・ハウス」というバーがある(先日、福山雅治が来たので話題になった)。これはあまりにも特殊に思えるけれど、実は日本人の趣味の広さという意味では典型的な例かもしれない(ついでにいえば盛岡には世界中のラム酒を置いているバーもある)。