沼野雄司のボストン通信07(2009/03/27・最終回)
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前回の「通信」が6月12日だったので、あっという間に2か月ちょっとが過ぎてしまいました。ボストンはすでに夏の盛りを終えつつあり、ときにはえらく涼しい風が吹いてきます。夏のハーヴァードはシーズン・オフでひっそりとしているものの、学外では、夏ならではのさまざまなイヴェントがありました。ちょっと遅くなってしまいましたが、7月前半までのあれこれについて書きます。
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6月のボストンはやや天候不順ながらも、基本的には気持ちのよい気候です。卒業式が終わったハーヴァードの構内からは学生が一気にいなくなり、そのぶん、空のブルーと樹木のグリーンが目にしみます。
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前回の通信から、ちょうど一カ月ぶりですが、この間は図書館と自宅にこもって、今年度末にコロラドで開かれる学会に発表申請するための下調べをやっていました。おかげで演奏会にもあまり出かけず……。前回にお知らせしたファーニホウ個展は充実したものでしたが(演奏会後に少し話をしましたが、曲とは対照的にきさくなオジサンだった)、あとは若手の作品発表会や地元のジャズ・クラブに顔を出したくらいで、特筆すべきものはなし。むしろ、この一カ月でもっとも感銘を受けた「アメリカ的演奏会」は、娘の通う学校の合唱発表会だった気がします。
もちろん技術的には、たいしたことはありません。しかし、このブルックラインの公立校(日本風にいうと小1から中2までがいっしょに通う)は各国からの駐在や研究者の子どもが多く、舞台にならんだ彼らのヴァラエティあふれる顔立ちを眺めているだけで、興味がつきない。東洋系、アフリカ系、ヨーロッパ系などがごちゃまぜになっていて、みな髪も眼の色も違うし、背格好も異なる。足の悪い子もいれば、落ち着きなく動いている子もいる。素晴らしいソロを披露する子もいるいっぽうで、ほとんど口が閉じたままみたいなのもいる。しかしながら、この子たちがともかくはいっしょに英語の歌をうたうのを見ていたら、ちょっとジーンとしましたね。大げさにいえば、アメリカという国がもっている、もっとも美しい理念のようなものが、そこには象徴されていた。
ちなみに、こうした子どもの歌を聞いていると、日本人とは微妙に音程の取り方が違うことが、かえってよくわかります。6度の跳躍なんかが、じつに気持ちよく響く。もっとも、これは音感というよりは、英語という、子音が強い言語のせいもあるのかもしれません。日本語の歌でも大きく跳躍した先の音が「カ行」や「タ行」のように子音が立った言葉だと、いくぶん音が取りやすい気がするのですが、どうでしょう。
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ボストンはようやく満開の桜が散りはじめたところです。ハーヴァード大学の客員研究員という立場でこちらに来てから、ようやく一カ月がすぎました。今のところまでを総括すると、予想どおり英語の苦労はありますが、内容はきわめて刺激的で、なにか学者として日々リニューアルしている気分です。ブルックラインにある僕のアパートから大学までは、地下鉄(こちらでは「T」とよばれる)あるいはバスで40分ほどなのですが、だいたい朝は8時半過ぎには大学に到着して、夕方6時過ぎまで滞在しているというペース。これくらいぜいたくに勉強できる環境はひさしぶりで、あらためて勤務先の桐朋学園大学に感謝しています。
[photo 1 春のハーヴァード・ヤード]
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沼野雄司さんがボストンに旅立ってから、はや2カ月。どうしてるかな、と思っていたら、うれしい便りが。ハーヴァード大学での研究の実際や、ボストンでの生活など、さまざまな話題を当ブログに連載していただくことになりました。
というわけで、新連載「沼野雄司の『ボストン通信』」、明日から始まります。ご期待ください。[genki]
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沼野です。またもやずいぶんと間が空いてしまい、申し訳ありません(いつもこればっかりですが……)。
2週間くらい前、サッカーW杯のときにカメルーン・チームが滞在して有名になった九州の中津江村で、純金の鯉が盗まれるという騒ぎがありました。おそらくこの鯉は、竹下政権下の「ふるさと創生1億円プレゼント」の産物ですよね。あのときに1億円の使い道が思いつかず、純金買ったり、「金のなんとか」を作った自治体はけっこうたくさんあった気がします。
このニュースを聞いて思い出したのが、《モーゼとアロン》でした。いや、正確にいえば逆で、今年に入ってDVDが発売されたストローブ=ユイレの映画『モーゼとアロン』に出てくる「金の牛」を見て、あの竹下政策をひさびさに思い出したところだったんです。やはり、出エジプト記の古代から現代日本にいたるまで、金の魔力というのは人類を翻弄してきたわけですね。してみると中津江の鯉盗難も、偶像崇拝を禁じた神の怒りという可能性もあります(ないか)。
シェーンベルクのオペラ《モーゼとアロン》では、神の表象を頑なに禁じるモーゼには「語り」が、ときには現世的な官能をも是とするアロンには「歌」が与えられています。いまさら私がいうまでもないことですが、これはすごいアイディアというほかない。しかしいっぽうで、オペラ全体は密度の濃い音楽が切れめなく続いているわけで、作品をメタレベルで考えるならば、シェーンベルク自身の仕事(作曲)はモーゼに断罪されかねない、アロン的な役割をになっているともいえます。
ただし、ここで問題になるのが、テキストのみの第3幕です。現在のシェーンベルク研究ではどういう結論になっているのか知らないのですが、ともかく作曲はなんらかの理由で中断されて、短いテキストのみが残された。ストローブ=ユイレの映画でも、ここは横たわるアロンの前でモーゼがただ語って、もう素晴らしくあっけなく、ぷっつりと映像が途切れる。この第3幕に入ると、やはりドキッとするんですね。音楽の作用による遠近感がいっきに消えうせて、ゴロっとした生のリアリティが前面に突出する。とりわけ『モーゼとアロン』の場合には、他の映画と異なり最初からずっと音楽が鳴っているわけですから、この第3幕に入ったときの違和感と衝撃には格別のものがある。
これを観たときに、音楽は映像にフィクショナルな性格を与えるのだということに、あらためて気づかされたんです。一般に、映画音楽の役割は、映像のリアリティを基本的には補完するものだと考えられているように思いますが、じつはむしろ映画音楽はリアルを阻害するものであり、もっといえば「ウソの印」なのだと。テレビのニュースに音楽がないことを思えば、これはあたりまえともいえるんですが、ここから考えることがいろいろありました。
どうも、「なぜ映画音楽はいまだにオーケストラなのか」という問いから離れてしまったようでもありますが、しかしいっぽうで、その答えの鍵のひとつがここにあるような気もします。また、これはむしろ舞踊音楽の歴史という点からみるべきなんでしょうが、もっと新しいトピックスでいえば、なぜフィギュア・スケートの音楽はほとんどオーケストラで、でもエキシビジョンになるとポップスが多くなるのか、という問にも突き当たります。あっ、ここにも「金」メダルが……。
うーん、せっかく谷口さんが映画音楽の発端のところから歴史的な問題提起をしてくださったのに、またしても思いつくまま、変なところに話題がとんでしまいました。あまりの無責任を反省しつつ、次回は軌道修正して、ちゃんともとに戻るべく努力したいと思います。今回は番外編ということでどうかお許しを……。[沼野雄司]
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沼野です。
このトーク、いろいろな論点が同時進行しているので、一問一答的に噛み合ったやりとりにはなかなかなりませんが、それでもテーマをめぐって自由に発言する内に、何かいいアイディアが見えてくる気がします。今回は、谷口さんの議論の最後の部分に触発されて、現代音楽と映画音楽の関係について、思うところを書いてみます。
2004年から神奈川県民ホールで行なわれていた連続シンポジウムの記録が、先日『21世紀における芸術の役割』(小林康夫編、未来社)として出版されました。この冒頭に収められた、音楽と建築をめぐる討議に私も参加しているのですが、ここでは、19世紀から20世紀にかけてパリからニューヨークへ、すなわちヨーロッパからアメリカへと美術の中心が移動したのにも関わらず、なぜ音楽は頑なにヨーロッパから動かなかったのかという問題が提出されています。シンポジウムの中では十分に言葉が尽くせなかったのですが、もちろん実際には「移動」はあったわけです。クラシック音楽内の枠組みであれば、中心地は相変わらずヨーロッパだったといってよいでしょうが、広義のポピュラー音楽を視野に入れれば、音楽の中心は明らかにアメリカへと移ってしまった。
ここら辺、「クラシック音楽」「芸術音楽」「美術」「ファインアート」といった単語間のズレやねじれのために、音楽と美術を単純に対応させて考えると、いろいろと混乱が起るところかもしれません。しかしながら、ともかく20世紀の音楽文化の最重要発信地といえば、これはもうアメリカに決まっている。とりわけ20世紀後半のロック、ポップス、黒人音楽を考えれば、その力は圧倒的です。
ところで、こうした20世紀アメリカの様々な音楽文化の中でも、トーキー以降のハリウッド映画音楽は、19世紀クラシック音楽のある側面をそのまま引き継いだものでしょう。つまりクラシックには、ヨーロッパに残った原理主義的な長男の「現代音楽」だけではなく、もうひとり、アメリカに渡った次男「映画音楽」がいた、と。ヨーロッパからアメリカへの音楽中心地の移動は、普通に考えれば一種のジャンル交替といえるわけですが(クラシック→ポピュラー音楽)、一方で、クラシック音楽の創作という枠組みの中で継続性をたどってみるならば、それは20世紀初頭に、ヨーロッパの現代音楽とアメリカの映画音楽という2人の子どもに分裂していったといえないだろうか。
反抗的な長男は、親の世代を全否定しながら様々な運動に参加し、伝統を破壊したり再生したり、むちゃくちゃに暴れましたが、さすがに20世紀末になると老いもあってか(?)、ずいぶんとおとなしくなってしまう。体が動かないと、長男の芸風ではきついわけです。他方、次男は楽天的な性格が幸いして、浮き沈みはあるものの、ちゃっかりと親の「遺産」を運用しながら20世紀を生きてきた。
そもそも、前回もエクスキューズ含みで書いたように「映画音楽」といっても、スタイナーやコルンゴルトみたいなロマン派直系の亡命作曲家音楽もあれば、前衛的な語法も使われるし、ミニマルもある。つまりここにはクラシックの遺産の多くが(後述するように全てではないものの)詰め込まれているといえます。ここで私が最も重要だと思うのは、オーケストラというきわめて不経済なメディアが、このジャンルではまだ生き延びていることです。私にとって、これは興味深い。なんでいまだにオーケストラなのか。
もちろん映画音楽には、ジャズもヒップホップも民族音楽もあるわけだし、映画音楽史的をタテに見るならば、典型的なシンフォニック・スコアは、60年代あたりからこっちは沈滞状況に陥っているといえるのかもしれない。しかしそれでも、いまだに映画音楽ではオーケストラが結構な頻度で使われるし、テレビでもNHKの大河ドラマ的なものは相変わらずオーケストラです(だから、一般には「オーケストラのための音楽」を書く日本の作曲家、あるいは「現代の作曲家」といえば、久石譲や坂本龍一、あるいは渡辺俊幸といった名前を思い浮かべる人が多いはず)。
ただ、いくら映画音楽が19世紀クラシック音楽の次男だといっても、やはり大きな違いがあるといえばある。それが「形式」の問題です。クラシック音楽の歴史は、音だけで物語を作るにはどうしたらいいか、という形式との闘いでしょう。1時間以上も続くマーラーの交響曲を飽きずに聴ける人が結構たくさんいる、というのは考えてみれば大変なことで、長い歴史の中でのアイディアの積み重ね、および聴き手に対する教育の歴史があって、初めて1時間強という時間が何がしかの「意味」のあるものになる。
一方で、映画音楽は映像とセットになっているために、自律した形式を持つことが難しい。もちろん何事にも例外はあるけれども、しかし一般的な映画製作の手順からいえば、音楽は映像に付随的あるいは相補的なものでしょう。ゆえに谷口さんやゴールドスミスが言うように、音楽だけ聴いても不都合な部分が多い。音響的な効果という点ではクラシック音楽(含「現代音楽」)の手法の全てが取り入れられてはいるものの、形式の探求ということでいえば、クラシック音楽とは大きな切断がある。
きっと、映画音楽を19世紀クラシックの次男とみるか、継子とみるかは、この形式の問題に関わってくるのでしょう(なにか現在の女帝問題みたいですが)。また、「クラシック」と「映画音楽」の間に、オペラやミュージカルという補助線を引くと、さらに違った側面が見えてくる気もします。なんだか取り留めのない話になってしまい申し訳ないのですが、とりあえずここら辺で。[沼野雄司]
※ピーター・バート氏の『武満徹の音楽』、いい本でした。『音楽の友』に書評を書く予定です。
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