2010/03/15

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」009|合唱文化の現在──《筑後川》そして《土の歌》

 私たちの日常生活には、ごく自然に音楽が寄りそっている。そして音楽はメディアや情報機器の発達により、いっそう細分化し多様化している。それでもたとえば吹奏楽や合唱、軽音楽バンドなどは、年齢層を問わず、また一般団体や学生サークルなどの演奏者が主たる担い手となって、愛好者の拡大、新しい作品創作、コンクールによる技術レヴェル向上が継続し、日本の音楽文化の牽引役となっている。私自身は、音楽の日常化や大衆化の観点で無視できないのが合唱音楽であると認識しているが、あらためてこのような合唱文化の現在について考える機会となったのが、3月3日に開催された東京オペラシティウィークデイ・ティータイム・コンサート10「合唱とオーケストラの楽しみ〜日本合唱名曲選〜」であった。

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2008/04/04

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」008|びわ湖には恐るべき河童たちがいた!

 びわ湖ホール声楽アンサンブルが、畑中良輔の指揮で東京での初公演「びわ湖からの春のおくりもの」を開催した(3月31日)。年度末の月曜という、私のような企業に勤める者にとっては最悪の日程にもかかわらず、紀尾井ホールに期待と不安をもって駆けつけた筆者にとって、ひじょうに思い出に残る、ほんとうに「おくりもの」をいただいたような演奏会となった。

 ますその多彩なプログラムが絶妙なバランスで構成されていたこと、ハイ・レヴェルな演奏技術の基礎があって、そのうえにさらに「音楽」が存在していたこと、そしてなにより日本語をうたう、日本の声楽集団であったこと──びわ湖ホール声楽アンサンブルの東京凱旋公演は、この3つの意味で大成功であったと思う。ソリストの集まりともいえるびわ湖ホール声楽アンサンブルの16名は、それぞれキャリアのある歌い手の集団で演奏技術が「高い」ことは至極当然ではあるが、個々の技術が高い歌い手が集まれば、すなわち素晴らしい合唱が生れるとはかぎらない。私自身これまでにもいくつも「ソリストの歌あわせ」のような場面に遭遇し失望した経験があるが、びわ湖ホール声楽アンサンブルの合唱は、まさにアンサンブルの極意であった。演奏者自身が、アンサンブルを楽しみながら「言葉」を歌う、合唱の真髄を見せ、聴かせてくれた。

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2008/02/25

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」007|オペラ《黒船》の意味するもの

080222_kurofuneようやく新国立劇場で、山田耕筰の《黒船》が上演された(2月22日)。

筆者にとっては、今回と同じ栗山昌良演出による1995年の日本オペラ協会による上演に続き、2回目の《黒船》体験であったが、その前年の日本楽劇協会による「山田耕筰 管弦楽曲と劇場音楽の世界」の演奏会形式によるオペラ《あやめ》上演も山田のオペラ作品再演の脈絡で、今回の上演を機に思い出された。今回の上演にさいして、早稲田大学グローバルCOEプログラム「オペラが観た日本/日本が観たオペラ~黒船・夜明け・オリエンタリズム」の基調講演やシンポジウム、新国立劇場のオペラトークなど充実した企画も開催された。これらの企画を聞くことができなかった筆者が、以下のことを論じる資格があるのかは自問自答しているが、公演を観て感じたこととして書き留めておきたい。

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2007/11/08

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」006|近代日本をピアノ曲で辿る──堀江真理子ピアノリサイタル[2007/11/07|カザルスホール]

堀江真理子ピアノリサイタル~1900年啓かれた日本のピアノ曲~(デビュー25周年記念リサイタル)
 2007年11月7日(水)19:00 日本大学カザルスホール

◎曲目
 滝廉太郎/メヌエット(1900)
      憾(1903)
 山田耕筰/夜の詩曲(1917)
      忘れ難きモスコーの夜(1917)
      青い焔(1916)
      黎明の看経(1916)
      春夢(1934)
 信時 潔/譚詩曲(バラード)(1925)
 成田為三/浜辺の歌変奏曲(1942)
 下総皖一/パッサカリアと舞曲(1941)
 箕作秋吉/夜の狂想曲(1935)
 菅原明朗/水煙(1930〜32)
 橋本國彦/三つのピアノ曲(1934)
      1.雨の道
      2.踊り子の稽古帰り
      3.夜曲
 宅 孝二/赤い扇(1942)
      ロンド(1948)

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2007/10/27

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」005|故郷を愛した詩人の半生──浜松文芸館「清水みのる展」

 1940年にレコード発売された《別れ船》と、1946年にレコード発売された《かえり船》は、作詞・清水みのる、作曲・倉若晴生、演奏・田端義夫の三者により完成された楽曲である。私は、戦時下の「別離」と敗戦後の「帰還」を切々と歌い上げるこのふたつの楽曲が、戦前から戦後の社会相の一面を示す音楽の証人であると認識している。この時期の楽曲で、作詞・作曲・演奏が同一の組み合わせで、しかも一貫性のあるテーマを歌っているのは、この二曲が唯一の組み合わせではなかろうか。

 その作詞者である清水みのるの足跡をたどる展示が、政令指定都市となった静岡県浜松市の浜松文芸館で開催されている(11月15日まで)。同館は、清水のほか浜松出身の文化人10名を「浜松文芸十人の先駆者」と位置づけ、常設展示で紹介しているが、今回は清水にスポットを当てた意欲的なとりくみであった。

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2006/11/27

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」004──懐かしく、心あたたまる世界──東京混声合唱団のCD『懐かしいアメリカの歌』

東京混声合唱団/懐かしいアメリカの歌──東京混声合唱団愛唱歌集

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 勤務先が郊外で、一定時間(あるいはそれ以上に)拘束されざるをえない我が身にとっては、演奏会に出かけること事態がはなはだ困難な状況にある。東京混声合唱団の創立50周年演奏会にもまったく足を運べず、口惜しい思いをしている私のような者に、このCD発売は朗報であった。日々の生活や雑事に追われ、時間に追われ……という身にとっては、じっくりと、またしみじみと聴けるアルバムである。

 東混の今日にいたる足跡や功績は、今ここで新たに触れる必要はないくらい周知のことであろう。私がこれまで何回かステージで見たり聴いたりした東混の演奏は、演奏する側も聴く側も等しくコーラスの楽しさや喜びを実感することのできる、まさに「音楽」の世界であった。私には、全国で開催されている「創立50周年記念演奏会」がこのCDにも収録されている楽曲を含めたプログラムであること、そしてなにより、まさに気軽に口ずさめる楽曲によるアルバムが発売されたことの意味をここで「かみしめておきたい」のである。たんに音楽のテクニックを披瀝するのではなく、人々の心に息づいている「音楽」の本質、それを問いかけたアルバムなのではなかろうか。

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2006/05/01

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」003──始まりました「Tokyo Cantat 2006」

◆Tokyo Cantat 2006オープニング・コンサート「11の島からのメッセージ」
 2006年4月30日(日)15:00 すみだトリフォニーホール

◎出演
 司会:竹下景子
 演奏:豊中混声合唱団/豊中少年少女合唱団、
    淀川混声合唱団、ヴォーカルアンサンブル「EST」、
    立正大学グリークラブ+OB・OG、
    「モビールのように」をうたう会、
    コーロ・カロス、Ensemble PVD、酔狂、
    女声アンサンブル碧&きなりね 他
 指揮:西岡茂樹、伊東恵司、向井正雄、
    松村努、窪田卓、依田浩、松岡直記、
    栗山文昭、藤井宏樹、野本立人、片山みゆき

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2006/04/24

戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」002──音楽家の評価〜明本京静の場合〜

 国民大衆に親しまれた“音楽”を、郷土が輩出した音楽家の活動を通して考える連載記事がある。青森の『東奥日報』夕刊に連載されている「あおもり はやり歌 人もよう」がそれだ。このような音楽と社会を考える企画は、全国紙より地方紙・ブロック紙のほうがはるかに意欲的かつ優れていて、特筆すべき記事が多い。今回はこの連載で今年(2006年)3月1日〜14日の間、全12回にわたりとりあげられた作曲家・明本京静のシリーズについて考えてみたい。

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2006/04/04

新コーナー! 戸ノ下達也の「近代ニッポン音楽雑記」001──合唱劇《冬のオペラ。大正二十五年の》の不思議な世界(2006/03/31)

 私の問題関心は、音楽と社会のかかわりにある。その問題を解く鍵をこれまでずっと(そしてこれからも)日本近代史の歩みのなかに求めて考えているのであるが、ようやく1990年代後半以降、実際の「音」から時代を考える環境が整ってきた。今回は、先日上演されたステージを題材に、このテーマについて考えてみたい。

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2006/04/03

戸ノ下達也さんのコーナーが始まります!

近代日本の音楽と社会とのかかわりを研究されている戸ノ下達也さんが、当blogに協力してくださることになりました。「戸ノ下達也の『近代ニッポン音楽雑記』」として、これから不定期に投稿していただきます。戸ノ下さんの記事をまとめて読みたいときは、サイドバー内「カテゴリー」のなかの「tonoshita's view」をクリック。

どうぞご期待ください![genki]

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